すわるにはどうするか

 平素の生活の中でこれまで述べたような準備がととのえられたら、いよいよ坐ることになります。『坐禅儀』には、

坐禅せんと欲するとき、閑静処において、厚く坐物を敷き、ゆるく衣帯をかけ、威儀をして斉整ならしめ、しかるのち結跏趺坐す

とあります。この言葉を参考に、わかりやすく説明します。

坐る場所を選ぶ

 ここには、まず坐る場所を閑静処、つまり静かなところと規定しております。しかし、現実の問題として、今の都会生活者にはその閑静な場所を選ぶことが容易ではないでしょうが出来るだけ閑静処を選ぶよう工夫した方がよいでしょう。

 たとえば、庭の縁側などで自然と一体になって坐るのもいいと思われます。他には、できるだけ外の音や家庭内の雑音が入ってこない書斎や寝室など、精神が集中できる場所を捜して下さい。

また、少々の騒音は我慢するとしても、昔から強い風や、直射日光の当たるところでは坐らないように、と誡められていることを申し添えておきましょう。

 道場などでは、本来、坐禅する場所には文殊菩薩を祀りますが、家庭では仏画や墨跡などを掛けるのもいいでしょう。

 また、香炉を用意して、線香を立てられるようにしましょう。昨今、アロマテロピーとして知れ渡ってまいりましたが、香は部屋を清らかにし、心を落ち着ける効果があります。

 なお、道場では線香一本が燃える時間(約30〜40分)を一[いっしゅ]と呼び、坐禅をする時間の目安にしています。

坐物の準備

 場所の選定ができたら、そこに「厚く坐物を敷き」ます。座布団は薄いよりは厚いほうがいいです。決してぜいたくではありません。それに膝のはみ出さない程度に大きいものを使いたいものです。しかし薄いものしかないときは、仕方がないから二枚重ねて用いたらいいでしょう。その上に「坐蒲[ざふ]」という、普通の座布団を二つに折ったくらいの大きさ、厚さのものを尻の下に敷きます。もちろん薄い座布団を二つ折りして代用しても差し支えありません。

服装

 次に「ゆるく衣帯をかけ」とありますが、それは着物をゆっくりとつけ、特に帯など強く締めないことです。洋服の場合ならバンドをゆるめるとか、ネクタイをはずすなどすることです。といってダラシなくならないように、「威儀をして斉しく整え」る必要があると、注意しています。厳然としたところがないと、坐禅に緊張味が欠けることになります。

坐る

1.身相を調える

「しかるのち結跏趺坐す」で、このような準備をしてはじめて足を組むことになります。『坐禅儀』には、その方法として結跏趺坐[けっかふざ]と半跏趺坐[はんかふざ]と、二つの方法が示されています。

足は普通のアグラの状態から、先ず、右の足を左のももの付け根にのせ、

次に、左の足を右のももの上にのせます。この形を結跏趺坐といいます。

足が組めたら、先ず体を左右に、続いて前後に揺すって中心を決めます。

腰の位置が定まったという感覚を実感するために、右のように、伏せた形から腰の支点を感じながら、順に伸び上がっていくとわかりやすいかもしれません。

結跏趺坐が無理な人は、ひとまず片足だけをももにのせる半跏趺坐で坐って下さい。どちらの足でも、坐りやすい方を選んで下さい。

これも無理な人は、日本式の正座で坐って下さい。その時は、坐蒲を両足の間に挟み込むようしにして坐ると、長時間でも足がしびれないのでいいでしょう。

手は、先ず右手を下腹に組まれた足の上におき、左の掌を右の掌の上におきます。そして、左右の親指を合わせ、支えあうようにします。力を入れずに、中が卵の形になるようにして下さい。この形を法界定印[ほっかいじょういん]といいます。

坐禅をする時、目は開いています。顎を引き、まず、まっすぐ前方を向いたまま、視線だけを約1メートル前方に落とします。そうすると、自然に、目は半分開いた菩薩の半眼状態になります。目を閉じると消極的になり、余計な妄想がわいてきますので、閉じないで下さい。

背筋は、まっすぐに伸ばして下さい。頭のてっぺんが天井に着くような感覚が必要です。下腹部は、気海丹田と呼ぶヘソの下三寸のところに、力が充実している感覚があれば大丈夫です。

2.気息を調える

 体が整ったら、次は呼吸を整える調息です。坐禅で一番大切なのは呼吸方法です。息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、体の中の空気を全部吐きだす感じで、吐ききってください。吐ききれば、自然に吸えます。

 数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一から十まで数えます。ヒトーで静かに長く深き吐き、ツで吸います。フターで長く深く吐き、ツで吸います。これを、何回も繰り返すのです。

 呼く息は、自分の気海丹田に吐きかけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切です。

3.思量を調える

 最後は、心を整える調心です。『坐禅儀』によると、こうあります。

 臍腹を寛放し、一切の善意すべて思量することなかれ。念起こらば即ち覚せよ。これを覚すれば即ち失す。久々にして縁を忘ずれば自ずから一片となる。これ坐禅の要術なり。

 身も心も解放し、腹の中になんの一物もなく、ゆったりと解放された状態になった上で、是非善悪などの相対的な想念を払い去った、無念無想になります。しかし、実際には、人間は、簡単に無念無想、無心になれません。ですから、妄念が起こったら、すぐさま省覚すれば、その妄念はたちまち切断されます。

 また、「覚」するための具体的な方法として、前述の数息観を行なってください。

まとめ

 以上、坐相(身)・気息(息)・思量(心)と、三つに分けて説明しましたが、この三つは、元来分けて考えるべきものではありません。本当は呼吸の働きに媒介されて、心と身とが渾然と一つになるというのが坐禅というものです。

身・息・心の三つは、どの一つを取り上げても、他の二つがついてきて調和するものです。坐相が凛然と正されれば、心も息もおのずから正しくなるし、心が願心に充たされれば、姿勢つまり坐相も呼吸も期せずして正しくなるものです。

このようにして、身・息・心が安定不動の状態で一如に調和されることが、すわるということの要だといってよいとおもいます。

願わくは四弘の願輪に鞭うって、ゆったりと、どっしりと、しかも凛然と、東海の天に突っ立った富士山のように、坐りたいものです。

そのためには、家の中で静かに坐れる環境を選び、楽な服装でゆっくりと坐る必要があるのです。毎日毎日、少しづつでもいいですから続けて下さい。

また、坐禅会情報を参考にしていただき、近くのお寺で坐禅会に参加して、和尚さんに直接ご指導を受けられると、さらによいかと思います。